寺歴

瑞現山 總持院 寺歴

当山は萬治元年(1658)熱田区田中の地に南部新五左衛門光則(總持院春朝等梅居士 萬治3年(1660)6月19日卒)が開基す。
大須總見寺開山忠嶽瑞恕を勧請開山とし、開山は総見寺四世北禅禅秀。
延命地蔵尊坐像を本尊とする。

安永元年(1772)本堂再建、同6年には総門を上梁する。
文化13年(1816)10月總持院は自休寺と寺地を交換して旗屋に移る。
この後一旦絶法の後、總見寺十三世霊源祖満和尚が第五代となる。

— 自休寺 —
南部甚左衛門朝邦(玄用院大機自休居士 慶長14年(1609)2月18日卒)は文禄4年(1595)熱田区布瀑女(ソブクメ)(海国寺西)に自休寺(古くは自休庵と号す)を開基す。
開山は北禅禅秀(敕諡聖諦廓然禅師大和尚)。
観世音菩薩坐像を本尊とした。
自休寺は寛文二年(1662)寺地を旗屋の海国寺田地(現總持院の地)に移す。
その後荒廃に帰するを以て、文化13年10月總持院と寺地を交換する。
— 自休寺 —

「名古屋南部史」によると、
—– ここから —–
自休寺 熱田田中町
文禄4年創建、文化13年旗屋町より移る。

総持院
萬治元年(1658)の創建にかかる南部新五左衛門を開基とし、廓然禅師大和尚を開山としている。延命地蔵大菩薩の木佛立像をその本尊とし、また副佛として弘法大師の魂霊をも安置している。毎月21日はその縁日にして、明治および大正時代には参詣者が少なくなかった。
—– ここまで —–
とある。

昭和20年(1945)3月大戦下の空襲により罹災、寺塔佛像庫裡悉く焼失す(3月19日)。
(自休寺も同じく罹災、本堂庫裡悉く焼失す(3月12日))
然るに終戦後農地解放となり寺有の田畑の大部を失いたることもあり再建侭ならず、仮堂を設け、檀家南部康彦氏が滋賀県地安寺に乞うて薬師如来坐像を奉戴し本尊として安置す。

境内隣接の墓地は名古屋市戦災復興土地区画整理事業に基き、名古屋市千種区平和公園内に總持院霊園を設けて之に移す。
昭和27年(1952)新法により宗教法人登記、同時自休寺を廃寺となし之を吸収して同寺に残りたる僅かな墓石も当霊園に移す。

昭和35年(1960)7月、七代宗達和尚寂す。
總持院縁りの西区楽音寺住職杉村禅喜和尚を迎え兼務住職となす。
禅喜和尚本堂再建に奔走し、境内地の一部を売却処分して資金とし、昭和54年(1979)本堂及び庫裡の一部を再建復興し、翌55年11月名古屋徳源寺瑞雲軒老大師を迎えて入佛式を厳修す。

昭和54年木曽妙覚寺より現住職を迎え、翌55年11月、本堂入佛式と同日入山式を修め第六世・第八代住職就任す。

昭和62年(1987)木造平屋建て庫裡が手狭となりたるため、庫裡の増改築を行う、完成は昭和63年5月。(2階建てとなる)
平成10年(1998)9月、本堂が手狭となりたるため本堂の増改築工事着工、翌平成11年1月完成を見る。
(内陣部分を北へ拡張、位牌堂を併設、位牌堂2階部分を新築)

平成15年(2003)7月、来る2008年に迎える當山開創三百五十年を記念して山門改修工事着工、この年は長雨に付き9月1日に竣工す。

平成20年(2008)6月17日午前11時より、徳源寺江松軒老大師を導師に、
総持院 開創三百五十年遠諱
自休寺開基 玄用院大機自休居士四百遠年忌
総持院開基 総持院春朝等梅居士三百五十遠年忌
総持院五世明道達禅師大和尚五十年遠諱
法要を勤修す。
随喜寺院20名、檀信徒・縁故者40名の参詣を得た。

同年9月、南部新太郎氏により境内(本堂前西側)に、
自休寺開基 玄用院大機自休居士
総持院開基 総持院春朝等梅居士
の宝篋印塔が建立され、同年9月26日、施餓鬼会法要に引続き、宝篋印塔開眼供養祭を厳修す。

歴代

開山 一世 北禅禅秀 總見寺四世
二代 二世 霖翁禅霈 總見寺八世
三代 三世 擔禅禅来
四代 四世 播溪禅興
五代    霊源祖満 總見寺十三世
六代    梅神祖芳
七代 五世 明道宗達
八代 六世 太玄孝三 (現住)

参考文献

「張州雑志 第七巻」
昭和51年2月22日印刷
昭和51年2月28日発行
名古屋市蓬左文庫蔵
発行所 愛知県郷土資料刊行会
# 「張州雑志」は尾張藩士・内藤東甫が尾張九代藩主・宗睦の内命で経費の支給を受けて作られたもので、安永年間(1772~1780)に執筆されたとされる。

「復刻版 名古屋市史 (社寺編)」
復刻版
昭和55年2月15日印刷
昭和55年2月25日発行
発行所 愛知県郷土資料刊行会
初版(?)
大正4年7月7日印刷
大正4年7月10日発行
著作権発行者 名古屋市役所

「南部家由来記」
南部新太郎氏 編集・著

「名古屋南部史」
発行 :昭和27年1月1日
発行所:名古屋南部史刊行会

「熱田風土紀(第三巻)」
発行:久和会
昭和36年12月31日