京都市右京区花園妙心寺町にある『臨済宗妙心寺派』本山、山号は正法山(しようぼうざん)。
開基は、第95代の天皇である花園天皇で、ご自分の離宮を改めて禅寺とされました。
開山(初代の和尚様)は関山慧玄(かんざん・えげん)禅師で、またの名を無相大師(むそうだいし)とお呼びしています。
達磨さんからの流れをくむ「禅宗」です。
暦応年中(1337-1342)の開創とされますが、応仁の乱(1467-1477)の戦火によりすべて灰燼に帰するも、復興を成し遂げ現在に至ります。
現存の建物は戦国時代以降のものであるが、勅使門(1610)・三門(1599)・仏殿(1827)・法堂(はっとう)(1657)が一直線上に並び、横に経蔵・鐘楼などの諸堂や塔頭(たっちゅう)の建つ伽藍(がらん)配置は、近世の禅宗寺院の完備した姿を見せている。(参照:岩波仏教辞典 岩波書店)
法堂天井の狩野探幽(かのうたんゆう)(1602-74)筆の雲竜図をはじめ、寺宝には虚堂智愚(きどうちぐ)画像・関山慧玄墨跡・花園天皇宸翰(しんかん)その他多数を所蔵する。
梵鐘(ぼんしょう)は698年(文武2)の日本最古の紀年銘を有し、その音色は黄鐘調(おうじきちょう)という。
多くの塔頭が諸大名の外護により建てられたが,そこには如拙(じょせつ)はじめ狩野元信(もとのぶ)・永岳(えいがく)・山楽(さんらく)・山雪(さんせつ)、長谷川等伯(とうはく)、海北友松(かいほうゆうしょう)以下の中近世絵画史上の名作を多く所蔵する。
また方丈(ほうじょう)のほか、塔頭の玉鳳院・東海庵・霊雲院・退蔵院・桂春院などには日本造園史上の名庭が残されている。(参照:岩波仏教辞典 岩波書店)
末寺は日本はもちろんのこと世界各国に3400ヶ寺余り、所属するお坊さんは約7000人を数えます。