インド国の釈尊(お釈迦様)が2500年前にお悟りを開かれたのを仏教(禅宗)の始まりとします。
お悟りとは、言葉では表現の仕方が見つからないのですが、「『ほんとうのこころ』に気付く」、ことでしょうか?
『ほんとうのこころ』のことを『仏心』と呼びます。
この『こころ』を悟った方達が次に『こころ』を悟った方を認めていく「以心伝心」なのですが、形のない『こころ』を認めていくのですから、知識とか理論とかでは説明は出来ません。
次は、お釈迦様が最初に法を伝えられたときのお話しです。
【ある日お釈迦様は説法をされたとき、1本の花を手にし皆に示された多くの人は何のことか分からずにいたが、1人のお弟子さんがにっこりとほほえまれた、これを見たお釈迦様は「われに正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり、いま摩訶迦葉に付嘱す」と言われました。
要約すれば「悟りの仏法はいま摩訶迦葉に以心伝心した」と言われました。
(摩訶迦葉は釈迦の10大弟子の1人)】
釈尊の悟られた『正しい教え』(『仏法』)を伝え・伝えし、その様にしてインドから中国へ、中国から日本へと伝えられてきました。
インドから中国へ『仏法』を伝えられたのは達磨大師です、釈尊から数え(伝えられ)て28代目の方でした。
もっぱら坐禅をすることを強調され、釈尊の『教え』よりも、『さとり』に重点を置きました。現在の『禅宗』の始まりと言っても良いでしょう。
臨済禅師は達磨大師から数えて、11代目にあたります。
臨済の宗風を「臨済将軍の禅」と称され、鋭い独自の禅思想をもった人であった。
一般には、栄西が入宋して臨済の流れをくむ禅を伝えたのを日本の禅宗の初伝としています。鎌倉幕府の帰依を受ける。
博多の聖福寺、鎌倉の寿福寺、京都の建仁寺開山。
しかし、栄西の『法』は嗣がれることはなかったが、以降の禅および日本の文化等に及ぼした影響は大きい。
鎌倉・建長寺の蘭溪道隆(1213ー1278)(中国よりの来朝僧)のもとで修行する。
後に入宋して、虚堂智愚(1185-1269)の法を嗣いだ。
帰国後建長寺に戻る、その後九州太宰府の崇福寺を中心に活動。
現在の臨済宗諸派は法系上すべてこの系統に属している。
南浦紹明に参じその法を嗣ぐ、大徳寺開山。
花園・後醍醐両天皇の帰依を受ける。
宗峰妙超に参じその法を嗣ぐ、岐阜(伊深)正眼寺において悟後の修行をつむ。
妙心寺開山。
花園法皇の帰依を受ける。
12才で第95代の天皇となる、時あたかも、鎌倉幕府から室町幕府へ至る南北朝時代の頃である。
22才で後醍醐天皇に譲位(1318)され、上皇となる。
大燈国師のもと、花園上皇悟道(1335)し、天台宗法勝寺の円観上人につき法皇(仏門に入り、剃髪す)となられる。
暦応年中(1337-1342)にご自分の花園離宮を改めて禅寺として開創される。
大燈国師の助言により、関山慧玄を開山とし、山号を正法山、寺名を妙心寺とする。
山号・寺名はお釈迦様が摩訶迦葉に法を伝えたときのお言葉の、「正法眼蔵、涅槃妙心」による。